野々村 健一

IDEO Tokyo / Managing Director兼共同代表東京都

野々村 健一

IDEO Tokyo / Managing Director兼共同代表

The best way to predict the future is to create it.

IDEO Tokyoの共同代表。IDEO Tokyoの事業拡大と新規開拓に注力しながら、企業がIDEOとのコラボレーションを通じてさらに大きなインパクトを創出する方法を摸索中です。クリエイティビティとビジネスの架け橋として、 そこから成功に繋がる変化とイノベーションを生み出すことに情熱を持っています。ベンチャーのビジネスデザインにも熱心で、日本のスタートアップや起業家の支援も行っています。過去にはロンドン、ニューヨーク、

この先やってみたいこと

未来

子どもたちがこれから暮らしていく、日本という場所にポジティブな変化を起こしていきたいです。特に日本のクリエイティビティとビジネスが交差するところのお手伝い、そしてそれを世界へとつないでいくことに挑戦していきたいと思います。

IDEO Tokyo13年間

Managing Director兼共同代表現在

- 現在

デザインとクリエイティビティを通じて、日本の変化に貢献する

  • 共同代表に就任

    2020年の頭にExective Directorに就任したことをきっかけに、会社側の意思決定を行う立場になりました。その後、2021年には共同代表に就任。実務に大きな変化はないものの、会社の収益責任を負い、IDEOのビジネスがきちんと回っているのかを見るようになったことが大きな違いでした。人の計画、キャリアパス、採用などについて、より細かく見るようになりました。

メディア出演・執筆活動・その他現在

Director, Business Design & Development

クリエイティビティ・デザイン・多様性・ビジネスを通じて日本企業の変革に取り組む

Business Designer

日本のビジネスを変える触媒になる

  • カオスを楽しむ思いでIDEOへ入社

    当時のIDEO Tokyoは日本にスタジオを設置したばかり。社員も3人程度で、知る人ぞ知るデザインコンサル会社といった存在でした。米国でインターンをしていたとはいえ、チャレンジングな選択のようにも見えたかもしれません。 しかし、卒業後のキャリアを考える中でヘッドハンターに話を聞くと、「MBAの使い方をきちんと理解している会社を選ぶか、全く逆の“カオス”へ行くといい」とアドバイスをされました。 立ち上げ時のIDEO Tokyoは、徐々に勢いを増すスタートアップのような雰囲気があり、このカオスを楽しみたいと思ったことから、迷わずIDEOに入社しました(IDEO Tokyoの立ち上げ期のメンバーの一人が高校の先輩だったりと、ただならぬ縁も感じていました)。

Harvard Business School2年間

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自分に正直に生き、仲間を大切にすることを学ぶ

トヨタ自動車株式会社6年間

商品企画部

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多様な仲間やお客様と一緒に、日本の強みであるものづくりにチャレンジする

  • ビジネスの本丸を学ぶために退社

    大学時代から興味のあったビジネススクールに通うため、トヨタを退社。行くのならばなるべくはやい時期がいいだろうということもあり、ちょうどスクール生の平均年齢ともいわれる年齢で辞めることになります。 また、この決断の裏には大好きな祖母の死もありました。仲の良かった祖母が亡くなったことで、「人生でやりたいと思うことは全部やろう」という気持ちが強くなりました。 働きながらの受験勉強は大変でしたが、6月に退社し、その夏の終わりにはハーバードに行くことになりました。

  • 商品企画部に異動

    海外営業部でマーケットサイドの、川下の仕事を学んだあとには、商品企画部に異動。より川上の部分での仕事を学ぶことになりました。上司がそのように計らってくれたのだと思いますが、自分が今まで販売したものがどのようにつくられているのか、学ぶチャンスをもらいました。

海外営業部

現地パートナーと一緒に、発展途上の環境の中でマーケットを育てていく

  • 中南米担当のカントリーマネジャーになる

    商品担当、もしくは国の担当が若いうちから裁量を持って働けるのではないかと思い、入社後は希望して海外営業部に配属となりましたが、中南米の担当になるとは予想外でした。振り返ってみれば大変な日々だったと思います。 新卒1,2年目の僕が、猛者だらけの海外オフィスに赴き、ああしよう、こうしようと言ってもなかなか話を聞いてもらえませんでしたし、担当していた国は治安もあまりよくなく、日が暮れてから一人で出歩くのも叶わない状況でした。 それでも、時間をかけて何度もコミュニケーションを取ることで、最終的には信頼関係を築くことができ、一緒にマーケットを育てた後、黒字化までたどり着くという貴重な経験をさせてもらいました。

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慶應義塾大学5年間

総合政策学部

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自分自身の多言語での生い立ちから日本の外国語教育に興味を持ち、言語やコミュニケーションと心理学が交差するゼミに所属

  • 日本を背負って戦える企業を目指し就活

    僕が就職活動をしていた頃は、いわゆる「就職氷河期」。ひとつでも内定が取れたら万々歳という状況でしたが、その中でもグローバルな企業で働きたいという思いを持って就活に励んでいました。 海外で「日本はすごいよね」と言われて育ったので、それがなぜだったのか、答えを探せる企業や、僕が帰国子女として“お土産”を持っていける企業がいいと考えていました。 メーカーや商社、広告代理店などさまざまな企業を受けましたが、いくつか内定をもらったうち、最終的にはトヨタに就職することになります。

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  • インターン参加からビジネスに興味を持つ

    大学3年の夏からは、大学が用意していたプログラムを利用して企業にインターンをしていました。 最初は電通。そのあと、IBMやソニーの子会社でも働かせていただきました。 このときの経験が、ビジネスやマーケティングに興味を持つ大きなきっかけになったと感じています。

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  • 父に人生の選択を迫られ、日本の大学へ

    高校卒業までは海外で過ごしていましたが、大学入学のタイミングで日本に帰国。 そのきっかけとなったのが、小学5年のときに父から「人生の選択」を迫られたことでした。 当時、新聞社で働く父から「将来、日本の会社で働くか、このまま海外で生活を続けるか決めろ」と言われ、「日本で働きたい」と答えました。正直、熟考した末に出した結論ではなく、なんとなく父と同じ日本企業で働きたい…というだけでしたが、この答えをもとに父は慶應義塾の附属校に通わせてくれ、帰国してからも慶應義塾大学に進学することに。 ただ、その流れだけで日本に戻ったというよりは、海外で暮らす中でも母国に対するプライドのようなものを持っていたり、貢献したいという思いがあったりしたため、自分のやりたいこととも合致すると考えていました。


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